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いまだ金時ラジオ 第3回 エッセンシャル思考 主題1 僕がアカデミックポジションで抱いた葛藤

いまだ金時ラジオ 第3回 エッセンシャル思考
オープニングトーク


主題1 僕がアカデミックポジションで抱いた葛藤

まとめ

主題1 僕がアカデミックポジションで抱いた葛藤
全ての仕事は自分にはこなせないことに気づいた。
これは、アカデミックポジションで仕事をしていたときに感じた。

当時の僕の状況を紹介しよう。
自分の目の前にどんどん新しい仕事が出現する。臨床、教育、研究などなど。その仕事をアカデミックポジションにいる他のスタッフ達は効率よく片付ける。そういった能力に長けた人がスタッフとして抜擢されていた。自分も当然のように仕事を片付けた。自慢ではないが、仕事を片付けるのは早いほうだし、締切はきちんと守るタイプだった。その当時、仕事ができる人というのは、与えられた仕事をどんどんスピーディーにこなすひとのことだと思っていた。

でも、どれだけ効率よく仕事を片付けられるようになったとしても、長時間働いたとしても、さらにたくさんの仕事が目の前に出現するだけだった。
その仕事の中には、「これは、本当に自分がやるべき仕事なのだろうか?」と疑問に感じる仕事も多かった。そして、組織の上流から流れてきた仕事を後輩に押し付けることもあった。それをやらないと自分が潰れてしまうからだ。
後輩に押し付ける仕事には特徴がある。それは、「自分がやりたくない仕事」であったり、「そもそもやるべき価値のない仕事」なのだ。自分が経営者なら、「こんな仕事は無駄だから、しなくてよい」と判断して、その書類を丸めてゴミ箱にダンクシュートだ。でも、組織の中に属していると、それができない。上から降ってきた仕事は、自分でやるか、後輩に押し付けるかの2択なのだ。

自分に仕事を選ぶ権限、すなわち「この仕事は不要だからやめよう」と意思決定する権限を奪われると、仕事に対するやりがいが失われることにも気づいた。
僕がアカデミックポジション、大きな組織の中で仕事をしていたときに、年を追うごとにこういった仕事が多くなっていくのに気づいた。その時、ここでこれ以上働くのは、自分の人生ではない。楽しくないと感じた。
そして、おそらく、このような仕事、時間は、前回フランケンと対談した際に話題になった、死ぬ直前になって溶けていく時間なのだろう。

自分にしかできない仕事、自分の個性が最も生きる仕事を僕はやりたかったし、それこそが自分の生産性を極限まで高められる仕事だ。でも、組織の一員として、そのような働き方は求められなかった。上から降ってきた仕事を自分でこなすか、下におしつけるかの二択。これを続けていたら、きっと、些細な仕事に追われるばかりで何の成果もだせずに働き続けることになったと思う。

ポイント
組織の上流から流れてきた仕事をひたすら効率よく片付けるという働き方で良いのか?
本当に自分がやるべき仕事は何か?という疑問

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